江田島


       江田島(広島県) 1997年3月     江田島町のホームページへ 
  
  
●広島に寄ったわけ
      
実は、私は「広島カープ」が好きである。単純ではあるが、それだけの理由で、
      大学時代、今は無き「九州ワイド周遊券」を使った九州合宿の帰り道、憧れの
      街、「広島」に立ち寄ったのであった。


  ●おっちゃんとの出会い
      広島に着いて、駅前の「お好み焼き屋」を探した。そこは、数年前に広島に
      寄ったときご飯を食べたことがある、おばあちゃんが一人でやっている雰囲
      気の良いお店で、次に広島に来た時には、また行こうと思っていたところだ
      った。 ところが、駅前は区画整理事業の真っ最中。そのお店があったとこ
      ろは何もない更地になっていた。

      店をやっていたおばあちゃんはどうしてるんだろう、と思いトボトボ歩いてい
      るともう、その日泊まるユースホステルの門限が迫っていることに気づき、
      タクシーに飛び乗った(広島YHは駅から遠い)。

      タクシーのおっちゃんと九州合宿(徒歩旅行)の話で、なんだかすごい盛り上
      がってしまった。そのおっちゃんも、若い頃は、気ままにヨーロッパを旅し、金
      がなくなると猿岩石のように働いてしのいだそうだ。


  ●「人生観が変わるぞ!」とおっちゃん
      そのおっちゃんが「明日はどこにいくんだ?と言う。次の日は、日本三景に
      挙げられている「安芸の宮島」に行くつもりだったので、そういうと、
「とんでも
       
ない!!」とおっちゃんが怒り出した。私がキョトンとしていると、おっちゃんが
      更に続ける。
 
      「若い頃は、人と同じところに行ってちゃ駄目だ!」「そうだ、江田島に行け、あそこ
      に行ったら人生観が変わるぞ!」とのたまう。
      私は、自分なりの人生観を持ってるぞっていう変なプライドもあったので、
おう!
      人生観を変えられるもんなら変えてみろってんだ!」
と、口には出さなかったも
      ののその時までは聞いたこともなかった「江田島」に行ってみることに決めたのだった。


   ●江田島へのアプローチ
       ユースホステルに着くとすぐに、ヘルパーに江田島への行き方を聞いたのだが
      どうもはっきりしない。翌日、JR広島駅においてある時刻表で調べると、その日
      行くはずだった「安芸の宮島」から広島港に行く船、そして、広島港から江田島
      に行く船が出ていることが分かった。そのため、元々行く予定だった「安芸の宮
       島」に行った後、江田島に行ってみることにした。


  ●旧海軍兵学校海上自衛隊(第一術科学校)
        広島のガイドブックで「江田島」を調べてみると、5行くらいしか載っていない。
      何を見れば「人生観」が変わるのかは分からなかったが、ガイドブックには旧海
      軍兵学校のあとしかなかったので、とりあえず、そこまで行ってみることにした。

      バスを降りると、ちょうど一日数回しかない見学時間とどんぴしゃり。ついてるな
      あと中にはいる。今は、自衛隊の幹部候補生の集まる学校になっていて、訓練を
      してる様子なんかも見られる。


   ●神風特攻隊の遺書
     係のかたの後について、広い敷地内の見学をする。「同期の桜」の舞台となった
      学校内には、盆栽ではクネッと背を曲げている松でさえ、真っ直ぐに生長するよう
      に手入れされているそうで、確かに幹が曲がった松の木は1本も見当たらない。

       見学コースの最後に、「教育参考館」に行った。ここには、東郷平八郎元帥の遺髪
       をはじめ、旧海軍関係など約14,000点の展示資料がある。

       と、年配の見学者たちがすすりないている箇所があった。みると、神風特攻隊の
       遺書が展示されている。旅行当時の私と同じ年代の少年達が、遠い南の島で
       爆弾とともに敵の船に体当たりした事実は、教科書で知っていたが、彼らの直筆
       の手紙は、なんとも言えず、胸がいっぱいになる。

       「この世に、何千、何万の母あれど、我が母に勝る母なし」(うろ覚えなのでちがってるかも)
       という手紙には、もう、言葉も出ない。


 ●帰ろう
     
第一術科学校を出ると、空と同じく、どんよりした気分になってしまった。
      残念ながら、人生観までは変わらなかったけれど、自分は生かされてるんだなあ
      と、平和ボケした日本と自分を再確認した。バイト代も底をつきたし、そろそろ
      家に帰ろっかなあ、と、広島駅に着くと、すぐに東京行きの新幹線に乗ったのだった。